手塚治虫はまさに昭和の人である。
昭和3年に生まれ平成元年に亡くなった。

↑未完のバンパイヤ第2部のつづきが
いつかは読めるだろうと思い焦がれていた少年も
夢かなわぬままおじさんになってしまった。
さて前回(手塚プロを訪問する)の続き。

↑「バンパイヤ」でトッペイが手塚先生を訪ねるシーン。
アポ無しで手塚プロのドアを叩いた私は
どういうやりとりがあったのか
もはやはっきりと憶えていないが
とにかく中に入れてもらえた。
いかにも純朴そうな学生服の高校生が
たぶん田舎のイントネーション丸出しの標準語で
「青森から来ました。」みたいなことを言ったのであろう。
中に手塚先生はいなかった。
たぶんアシスタントの人ばかりで
だからこそ入れてもらえたのかもしれない。
「火の鳥2772」の試写会が近いとかで
みなさん徹夜だったのかもしれない
手塚先生の奥様が皆さん用のモーニングを運んできて
勧められた私はこれまた遠慮も知らず頂いたのであった。

↑当時のメモ書き
あれやこれやと実に親切に説明してもらい
どれくらい時間が経ったろうか
そこにいきなり
手塚先生がドアを開けて入ってきた。
私は椅子からスクっと立ち上がるなり
そのまま立ちつくしてしまった。
つづく

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