当時、私の本棚は手塚治虫で溢れかえり
納まりきらずに手前と奥の2層になっていた。
上京のおり
段ボールに詰め、離れの倉庫にしまったのだが
虫に食われたとかですべて捨てられることとなる。

↑帰郷のときに持ってきた「どろろ」
さて
前回(手塚プロでモーニングを頂く)のつづき
手塚先生が入ってくると
和やかだった室内は一気に緊張感で包まれ
世間知らずな私でもそれを感じ取るほどだった。
いま、まさに憧れの手塚先生がすぐ目の前にいるというのに
まわりの空気と自分の緊張とで、私は立ちつくしたままで
「サインください」
このひと言が、出なかった。

↑当時のメモ書き
先生が退室後
気の毒に思ったのだろう
あれやこれやとおみやげをもらう。




現在。
私が歳をとったのか
そういう時代なのか
それほどの憧れの人物というのが思い当たらない。
たぶんそういう人にあっても
簡単に写メを撮って握手を求め、サインを求めるだろう。
夢中になれる人が居た。
私は幸せもんだと思う。
しまった
自分に酔ってしまった。

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